お寺のデータ
- 所在地
- 奈良市中院町11(極楽坊)、奈良市西新屋町45(小院塔)、奈良市芝新屋町12(元興寺)
- アクセス
- 近鉄「奈良」駅より南東へ徒歩約10分
- 宗派
- 真言律宗(極楽坊・小塔院)、華厳宗(元興寺)
- 山号
- 創建
- 養老2(718)年(前身となる法興寺は崇徳元(588)年の創建、蘇我馬子)
- 本尊
- 智光曼荼羅(極楽坊)、虚空蔵菩薩(小院塔)
- 線香
- なし
- 公式サイト
- http://www.gangoji.or.jp/(極楽坊)
- 備考
- 世界文化遺産「古都奈良の文化財」の1つとして登録(1998年)。
西国薬師四十九霊場第5番(極楽坊)
極楽坊
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正門(東門)
日本最初の大寺であった法興寺(飛鳥寺)が平城遷都(710年)に伴い718年にこの地に移され元興寺となった。
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東門(重文)
中世末期に東大寺西南院から移築されたもの。
元興寺は当時は南北4丁、東西2丁にわたる寺域を有し、南都七大寺の一つとして権勢を誇っていたが、平安中期以降は衰退し、北の極楽坊、南東の大塔跡、南西の小塔院の3つに分裂した。 -
極楽坊本堂(曼荼羅堂)(国宝)
ご本尊は智光曼荼羅
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本堂(手前)と禅室(奥)
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禅室(国宝)
通常は非公開とされている。
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禅室の屋根裏探検
2010年の10,11月に催された企画で、禅室の屋根裏に上がって木組みなどを見学させてもらえる。滅多にない機会なので行ってみた。
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禅室の屋根裏
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禅室の屋根裏
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禅室の屋根裏
こんなところを歩いたりする。昔はここに僧侶たちが寝泊まりして勉学したという。
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礎石
本堂の床下にある。極楽道改築以前にあった僧坊の礎石とされる。
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南西側(禅室前)の浮図田
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収蔵庫(宝物殿)
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南東側(収蔵庫前)の浮図田(ふとでん)
浮図田とは「塔・石仏(浮図)類を田圃のごとく並べた中世の供養形態を示し」たものだそうだ。
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小子房
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歴代住持石塔
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禅室(手前)と本堂(奥)
この辺りから見る古代瓦がベストショットだそう。
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西側の浮図田と講堂跡
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石舞台
舞台の袖で出番を待つ猫?
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禅室裏
萩がたくさん植わっていた。季節にはきれいに咲きそろうことだろう。
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蛙石
河内の川縁にあった殺生石で、太閤秀吉が気に入って大阪城へ運び込まれたが、堀に身を投げた人も必ずこの石の下へ帰る、と言われていたそうだ。
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お地蔵様
何故か首が取れて角形の石の上に頭だけ乗せられていた。何かいわれがあるのだろうか。
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肘塚(かいのつか)石造物群
小塔院
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小塔院跡の正門
庚申堂のすぐ近くにこの入口がある。
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小塔院跡(虚空蔵堂)
ご本尊は虚空蔵菩薩。
小院塔のお堂の中にはご本尊として五重の小塔が安置されていたと伝えられており、現在極楽坊の収蔵庫にある国宝の五重小塔がそれだと言われている。
元興寺(五重大塔跡)
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元興寺塔跡の正門
極楽坊の南側に位置する。入口は西側なので、極楽坊の前の通りを南に下ってすぐ右に曲がり細い道を進んだところにあり、若干分かりにくい。
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観音堂の系譜を引くのが大塔跡を含む観音堂跡のこのエリア。
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塔の礎石
江戸時代には奈良名物の1つに数えられていたという高さ57mの大きな塔だった。安政6(1859)年に火災のため観音堂と共に消失した。17個残る礎石は奈良時代のもの。
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本堂(観音堂跡)
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鐘楼
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啼き灯籠
「延享年間今の大丸呉服店その頃京の伏見に下村家あり 代わりの灯籠を奉納して古灯籠を申し請いて自宅に運ぶ 爾来家鳴り震動して家人怖れをなしその音を聞くに灯籠より発したれば元の如く此所に安置したりと伝ふ」