お寺のデータ
- 所在地
- 奈良市雑司町406-1
- アクセス
- JR奈良駅・近鉄奈良線近鉄奈良駅 バス市内循環大仏殿・春日大社前下車3分
- 宗派
- 華厳宗
- 山号
- なし
- 創建
- 天平5(733)年
- 本尊
- 金銅廬舎那仏坐像(国宝)
(743(天平15)年、聖武天皇が廬舎那大仏造立の詔を発し、749年完成。752年開眼供養。) - 線香
- 銘香 東大寺香、銘香 薫風、銘香 華、銘香 華厳
- 初訪問日
- '78,10,31?(もっと前かも?)
- 公式サイト
- http://www.todaiji.or.jp/index.html
- 備考
- 境内自由
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南大門
近鉄奈良駅から県道369号線をまっすぐ東へ行くと15分ほどで到着。写真は吉城川辺りから見た南大門。東大寺は広大な奈良公園の中にある。
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南大門(仁王門)
「大華厳寺」と書かれている。
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仁王像(阿形)
東大寺仁王門の仁王様は正面ではなく、仁王が対面する形で中向きに立っている。 一説には正面向きだと風雨に曝され痛みやすいからではないかと言われている。
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仁王像(吽形)
普通は阿形が右側、吽形が左側に安置されるが、ここの仁王像は左右逆になっている。 平成元年~5年にかけて行われた解体修理の結果、阿形像は運慶・快慶の作、 吽形像は定覚・湛慶の作であることが分かり、話題になった。
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鏡池
中門前の池。
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中門前
東大寺の人口比率は、
外国人:修学旅行生:鹿:日本人=5:2:2:1。 -
中門(二天門)
南大門をまっすぐ進むと中門。この奥に見えるのが本堂(大仏殿)。
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中門内側の回廊にある香炉
「ふぅ~、重い・・・。」
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中門東側の多聞天(兜跋毘沙門天)
中門の二天も向かい合わせ。
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地天
多聞天を両手で支えている。「よっこらしょ。」
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中門西側の持国天
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邪鬼(じゃき)
持国天に踏まれている・・・。「うげぇ~。」
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金堂(大仏殿)(国宝)
間口5間・奥行5間、一重裳階付き寄棟造・本瓦葺
もとの大仏殿は戦国時代の争乱の中で焼失し、大仏は長い間雨ざらしの状態であった。 -
『八角灯籠』(国宝)
東大寺の金堂正面にあるもので、高さ4m60cmの金銅製灯籠。 東大寺創建当初のものといわれており、周りには唐獅子と音声(おんじょう)菩薩像のレリーフが施されている。
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あまりにも有名すぎるお寺ですね。
金堂(国宝)には、かの大仏様(廬舎那如来)がおられます。 現在の大仏殿は、1709年(宝永6)年に再興されたもので、 もともとの大仏殿(鎌倉時代に再興)と比べるとやや小さめだそうです。 これだけ大きな大仏殿ですが、座高15mもある大仏様は、立ち上がることもできませんね(^^;。 金堂には、このほか如意輪観音、虚空蔵菩薩(いずれも重文)などが安置されています。 創建当初の建物としては、法華堂・転害門・正倉院などがあります。ちなみに、東大寺の大仏さんは「盧舎那仏」 ですが、 同じ大仏でも鎌倉(高徳院)の大仏様は「阿弥陀如来」です。(丈六より大きな仏像を「大仏」と呼びます。)
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盧遮那仏
「奈良の大仏さん」として有名ですね。ここは写真撮影自由です。外国人観光客がしきりに写真を撮っていました。
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大仏様
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大仏様の蓮弁
びっしりと彫刻が施されています。
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虚空蔵菩薩(大仏殿内)
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如意輪観音(大仏殿内)
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多聞天
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賓頭盧(びんずる)尊者
ちょっと怖い・・・。必ずおられますね。自分の身体で悪いところをさすると治るとか。私はいつも足を撫でます。・・・あ、頭も?
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花祭り
仏生会の日(4月8日)は大仏殿の前にきれいなお花に囲まれた誕生釈迦如来像が祀られる。順番に並んで甘茶をかける。
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回廊
中門を入ると金堂を挟んで回廊が巡らされている。桜の季節はなかなかきれいだ。
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金堂から中門方向
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鐘楼
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二月堂(国重文)
寄棟造・本瓦葺
三月堂の北側に位置する。 毎年3月には修二会(しゅにえ)=「お水取り」が行われることでも有名だ。 本尊の十一面観音は秘仏とされている。 -
三月堂(法華堂)(国宝)
間口5間・奥行8間
本尊は不空羂索観音立像(国宝、3.62m)、脇侍として梵天・帝釈天立像(国宝)が安置されている。 他にも金剛力士立像(国宝)や四天王立像(国宝)、日光・月光菩薩立像(国宝)が安置され、まさに国宝だらけ! 堂内は少し薄暗く厳かで、たくさんの仏像の前に腰掛けることができるようになっており、 時間がとてもゆっくりと流れている。東大寺の中でも一番好きな場所である。 -
四月堂(三昧堂)
二月堂、三月堂に比べると四月堂はとってもマイナー(^^;。 よく前に車が無造作に止めてあったりする。「なめんなよ~!」
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大仏殿の裏側
裏側が結構好きだったりする。こちらは観光客も少なく鹿が多く、雰囲気はよい。
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転害門(国宝)
奈良市手貝町。鎌倉時代に多少の手が加えられたものの、ほぼ創建時(天平時代)のままの姿を残している。